近所に住む人妻との婚外恋愛

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 二十代後半にもなろうというのに、恋人もいなければこれといった趣味もない。
 新卒で入社した文房具メーカーでの企画営業の仕事は、運よく同僚や上司にも恵まれ続いているが、自分に向いているかと問われると疑問だ。
 特に人望があるわけでも才覚に秀でているわけでもないので、仮にこのまま定年まで勤め上げられたとしても良くて課長職止まりだろう。

 ゆるやかな下降線を人生の終端に向かい辿るような人生だが特に不満はない。
 しいて気がかりを挙げるとすれば、このまま自分が独身のまま亡くなったとして、部屋に大量に残されるであろうマスコットやゆるキャラのぬいぐるみ達の行く末だ。

 俺の部屋には「仕事柄、流行のキャラクターグッズに対する感度を養う必要がある」という言い訳でお金をつぎ込んできた、大量のクレーンゲームのぬいぐるみがある。
 例えば最近は少し毒のある猫のキャラクターがお気に入りなのだが、このキャラクターグッズが自分の死後、部屋の整理などでぞんざいに扱われるのを想像するとアンニュイな気持ちになる。
 あと十年もすれば人生の折り返し地点として、身の振り方について考えるべきかもしれない。

 とはいえ休日に他にすることもないので、俺はその日も新作のキャラクターグッズを購入するため、近所の衣料品店で開店時間を待つ列に並んでいた。
 最後尾である俺の前にいるのは十人くらいだろうか。スマホを眺めて時間をつぶしながら待っていると、隣で新たに列に加わる人の気配がした。

 顔を上げるとこの店で何度か見かけたことのある女性だ。年齢は三十代半ばくらいだろう。
 同じキャラクターのファンであるという仲間意識と、綺麗で優しそうな女性だったので印象に残っていた。
 彼女も俺のことに気づいたのか、目が合うと軽く微笑んで会釈をしてくれる。

 開店時間を迎え、俺たちは店員の誘導に従い順番に商品を選んでいった。
 今回は店側の転売対策として、同一商品を複数購入できないのはもちろん、別デザインについても両方は購入できないらしい。
 元々の入荷数が少ないのか、俺の順番になる頃には売り切れの商品も出始めていた。どうしたものかなと迷ったが、ふと思いついて後ろの女性に声をかける。

「品物も減ってきましたし、よければ一緒に選びませんか。特に購入したいグッズがあれば教えていただければお譲りしますので」
 そう言うと彼女は少し驚いたようだったが、顔見知りであることも影響したのか喜んで頷いてくれた。
 雑談も交わしつつ無事にお互い欲しい商品選び終えると、ちょっとした疑似デートみたいだったなと心の片隅で思いながら彼女と別れた。

    〇

 会計を終えて店を出て、車の後部座席に今日の成果をうきうきしながら置く。新たなグッズを入手した高揚感と、またグッズを増やしてしまったという後ろめたさがたまらない。

「あの……先ほどはありがとうごいざいました」

 不意に背後から控えめな声をかけられ振り返ると、一緒にキャラクターグッズを選んだ先程の女性がいた。
 手には荷物を抱えているので、彼女もちょうど帰るタイミングだったようだ。

「いえ、こちらこそ楽しかったです。お互いにお目当てのグッズが買えて良かったですね」
「はい。実をいうと、残り一つだったので先に買われちゃったらどうしようって、どきどきしてたんです」
 彼女は恥ずかしそうに頷き微笑む。そして「あの……よくお会いしますよね」とこちらの反応を伺うように言った。

「そうですね、こうしてお話しするのは今日が初めてですけど」
 よく会う、といえるほどの頻度ではない気もしたが、もしかすると俺が気づいていない時にも、彼女が俺のことを見かける機会があったのかもしれない。
「このキャラクターが好きな人、私の知り合いにいなくて……。お見かけする度に嬉しくて気になってたんです」
 そう答えると女性は少し照れた様子だった。

「わかります、自分は知り合い自体あまりいないので、少し違うかもしれませんけど」
 俺の自嘲めいた同意を冗談と受け取ったのか、彼女は可笑しそうに笑う。そして少し迷った様子ながらも意を決したように口を開くと、やや早口で話し出した。

「もしよければですけど、この後お時間あれば一緒にお食事しながらお話しませんか?」
 彼女の様子と唐突な提案に戸惑いつつも、俺は二つ返事で快諾したのだった。

    〇

 それから俺たちは時間を見つけては会うようになった。
 彼女の名前は香澄さんといい年齢は三十六歳、やはりというか、キャラクターグッズ集めが趣味だそうだ。
 結婚しており娘が一人いるそうだが、夫とはうまくいっていないらしい。彼女は自分の家庭の話題になると少し暗い表情になるので俺はあまり触れないようにしていた。

 それは配慮というよりは保身に近かったのかもしれない。
 同じキャラクターグッズのファンという建前こそあるものの、既婚者の女性と二人きりで会い出かける行為が、あまり褒められたものでないのは承知している。
 香澄さんの旦那さんへの不満を聞いて、それに何らかのリアクションをとることは、彼女との関係を不可逆的に進めてしまうような気がしたのだ。

 それでも香澄さんの言葉の端々からは家庭への不満が滲んでいたし、俺との会食や買い物が気分転換になっていることは明らかだった。
 彼女の俺に向ける眼差しや並んで歩くときの距離感、「お礼」だと言って食事をご馳走してくれたり、可愛いキャラクターを見つけたからとお揃いのグッズをプレゼントしてくれる、そんな態度に特別な行為が潜んでいることを理解できないほど鈍くはない。
 俺自身も香澄さんに少なからず好意を抱いており、プレゼントのお返しと理由をつけては、彼女の好きなキャラクターグッズを贈ったりもした。そのことが香澄さんとの関係をより一層複雑なものにしているようにも思えた。

 ある日、彼女が観たがっていた恋愛映画を観た後で、カフェでお茶をしながら映画の感想を話していると香澄さんが急に「私ね、実は旦那と喧嘩しちゃったの。子供がいるから離婚はしないけど、なんであんな男と結婚したんだろ」と打ち明けた。

「私ね、もともと子供ができにくい身体なの。こんなこと考えちゃいけないのかもしれないけど、無理して作らなければよかったのかなって……」
 そう話す彼女は寂しそうで、俺は思わず彼女の手を取っていた。
「……自分じゃどうにもならないことだってありますよ。そのことで自分を責めないでください」
 そう言うと香澄さんは少し驚いた後、「ありがとう」と言って俺の手を握り返す。

 それは明言されない契約のようだった。空虚で意味のない慰めの言葉だが、共感し受け入れることが伝われば儀式は成立する。
「じゃあ、今日は甘えちゃおうかな」彼女は俺の肩に頭を預けながら言う。
「はい、甘えてください。俺は香澄さんに悲しい思いはさせません」

 香澄さんの髪を撫でると嬉しそうに頭を擦りつけてくるのが猫みたいで可愛い。
 ふと第三者が見たらどう映るのだろうと感じたが、すぐに考えるのをやめた。
 お互いが合意しているのなら関係に正当性などいらない。正当性を求めるのなら最初から香澄さんの手を取るべきではなかったのだから。こうして同じ時間を過ごす相手として彼女が必要であり、また彼女も同じ気持ちを抱いてくれている。

 彼女は「今日は帰りたくないな」と言って俺にもたれかかる。俺は彼女を優しく抱き寄せるとそのままキスをした。
「私ね、あのキャラクターグッズを集めてるの、今はこうして会うためなんだ」
 香澄さんは俺の手をしっかりと握りながら身を寄せて言った。
「最初はストレス発散だったけど、でも今は……好きな人が好きな物を欲しくて、集めてる」
 そう言うと彼女は恥ずかしそうにうつむいた。

 それから俺たちはカフェを出ると人目を避けて隣町のホテルに向かい、まるで自ら退路を塞ぐように激しく求め合った。何度も体位を変えては交わり続け、最後は朦朧とした意識の中で目の前の愛しい人と向かい合い、抱き合った状態で絶頂を迎えた。


(終)