隣人の熟女妻は自らが性欲の対象になるとは思わず無自覚に若い男を誘惑する
朝のゴミ出しから戻るとマンションの通路で花村さんご夫婦と行き合った。
ちょうど旦那さんが出勤するところらしい。スーツ姿の彼は、片手に鞄を、もう片手にゴミ袋を提げている。
「おはようございます」
寝不足の頭で挨拶をする俺に気のよさそうな笑顔で「おはようございます」と返すと、ゴミ袋を持ち上げて入れ違うようにしてエレベータホールへと向かった。
その後ろ姿をぼんやり眺めていると「田山さん、もしかして寝不足ですか?」と奥さんに話しかけられた。
彼女の名前は花村寿美礼さん、俺の暮らす部屋の隣室に夫婦で住んでいる。
「え、ええ。ちょっと……」
美人でおしとやかな雰囲気に緊張しながら、それでもできるだけ自然に聞こえるよう注意して返答した。
俺と同年代らしい彼女の一人息子は就職して都内に住んでいるそうで、引越しのご挨拶にお伺いした際には「息子はぜんぜん帰って来ないし、主人と二人暮らしの寂しい毎日だから嬉しいわ。困ったことがあったら何でも相談してくださいね」と優しい言葉をかけられた。
それから何かと気にかけてもらっているようで、顔を合わせれば世間話をしたり、ときどきお菓子や果物のお裾分けをいただくことがある。彼女にしてみれば子どもに近い感覚なのかもしれない。
「大丈夫ですか? お忙しいのかもしれませんけど、若いからといって無理は禁物ですよ」
気遣うように優しく声をかけてくれるが、その落ち着いた声色はかえって俺の心をかき乱した。
それというのも、彼女こそがここ数カ月ばかりの俺の寝不足の原因だからだ。
「ありがとう、ございます。気をつけます……」
彼女の笑顔を直視できず、結局しどろもどろに答えながら逃げるようにその場を離れた。
〇
およそ半年前、慣れない一人暮らしと真新しい寝具のせいで寝付けなかった俺は、壁の向こうから聞こえる激しく情熱的な女性の喘ぎ声に驚き、思わずベランダから隣家を覗き見てしまった。
もちろんカーテンは閉じられていたため詳細は判らない。
けれども暖色灯に照らされた夫婦の寝室で睦み合い折り重なるシルエット。情事の息遣いと衣擦れの気配にベッドを軋ませるスプリングの音。それらに負けないほど大きな彼女のあえぎ声と激しい腰使い。全てがあまりに生々しく俺の脳裏に刻まれ、下半身は激しく勃起した。
おかしな話だが、俺はそれを男女の性の営みとは認識していなかったような気がする。
カーテン越しの影が一心不乱に快楽を貪る女体の塊のように見えたのだ。
昼間の貞淑な奥様といった姿からは想像できない、淫らに喘いで快感に耽る彼女の本性がそこに映し出されていた。
「あ、ああっ、そこっ……だめっ、イッちゃう……! あぁっ……すごい……! もっとぉ……」
聞こえるのは彼女の嬌声ばかり。確かにいるはずの男性の存在は不思議と感じられない。
「イクッ……イクッ……あっ、あああっ!」
ひときわ大きな喘ぎとともに、彼女の体が弓なりに反り返った。
「はぁ……はぁ……」と荒い呼吸だけが聞こえる中で、俺は改めて自分が今している行為が他人のセックスを覗き見る行為であることに気付き、興奮に遅れてようやく恐怖もまた感じた。
だがそんな俺の気持ちなど知る由もない彼女はなおも激しく腰を振る。絶頂の余韻もそこそこに再び快感をむさぼり始める。
「あぁ……またっ、イッちゃうぅ……! あっ、あぁっ! ああんっ!」
ギシギシと軋むベッドのスプリング。突き上げられるたびに乳房を淫らに揺らす艶めかしい影絵。彼女が嬌声を上げるたび部屋全体に充満して漏れ出てきそうな淫臭。どれもが未知の世界だった。
俺が知っている性愛の営みは男女間のものだけだ。男女の愛が深ければ深いほどその行為も深くなるという漠然としたイメージがあるだけで、その行き着く先に何があるのか想像したこともなかった。
「ああっ、そこぉ! もっと突いてぇ!」
彼女は他人など気にもとめず、あられもなくよがり狂いながら快感を貪っていた。もしかすると夫であろう男性すら認識していないのではないかと感じた。それほどまでに彼女のセックスは独善的で動物的だった。
いつの間にか俺は自らの性器を激しく扱いていた。
まるで自分が彼女を抱いているような感覚に陥り、あの服の上からでも存在感を放つ乳房を鷲掴みにして腰を振っていた。
「あっ、あぁっ! すごいぃ、これっ……こんなの初めてぇっ……!」
目を閉じると彼女は俺の上で腰を振っている。
夫の存在すら忘れて快感をむさぼる淫らな痴態と、あられもない彼女の嬌声が耳に響くたび俺の性器はびくびくと震えた。今までに感じたことがないほどの快感と虚脱感、そして罪悪感が同時に押し寄せてくる。
「あぁ……イクッ……! もうイっちゃう……!」
艶めかしい声色で彼女が何度目かの絶頂に達した瞬間、俺もまた絶頂に達していた。
〇
あれ以来、彼女の鮮烈な淫姿が頭にこびりついて離れない。
いつ行われるともしれない隣家の交歓を夜な夜な待ち侘びて、俺は慢性的な寝不足に陥っている。
お隣の夫婦のセックス頻度は決して多くはなく、この半年で確認できたのは四回ほどだ。もしかすると体力的な問題もあるのかもしれない。何かの会話の流れで、ご主人の干支を伺ったことがあるが、見た目と合わせて考えるとご年齢は61歳になる。夫婦の会話の様子から感じる印象だと、寿美礼さんも同じような年齢なのだろう。とてもそうは見えないが。
実際のところ彼女は、二回り以上も年下の男性から自らが性欲の対象として見られることなど想像もしていないようで、その振る舞いにやや無防備な印象があった。
例えばマンションのゴミ出しなどのちょっとした外出の際には、ノーブラのまま胸元のゆるい服で出かけることもあるし、回覧板を持っていった際なども特に警戒をするでもなく「今日は暑いですね、そうだ美味しいお菓子をもらったので少し涼んでいかれませんか?」などと言って、優しい笑顔で俺を部屋に招き入れる。
あるいは彼女がわざと無防備な姿を俺に見せて誘惑しているのかもしれないが、それこそ万に一つの可能性だろう。
そしてそれが解っていてもなお、俺は無防備で隙だらけの寿美礼さんに対して欲情してしまうし、淫らな妄想を抱かずにはいられない。あの夜に彼女は、もう俺にとってそういう存在であると脳に刻み込まれてしまったのだから。
「あら? 田山さん……今日はお休みなんですね」
回覧板を持って訪れた俺を見ると寿美礼さんは笑顔でそう言った。
白いブラウスに包まれた彼女の胸元に目がいきそうになるのをどうにか自制する。
「ええ、あまり有休を溜めすぎると会社にせっつかれるので」
「そうなんですね。あっ、せっかくですしお茶でもいかがですか? 美味しいお菓子をいただいたんです」
そう言って寿美礼さんは無警戒に俺を家に招き入れる。気をつけないと彼女の丸いお尻のラインと、スカートから伸びる生足を見ているだけで股間が硬くなりそうだ。こんな魅力的な女性を妻に持つ旦那さんを素直に羨ましいと感じる。
嬉しさ半分、後ろめたさ半分の気持ちで彼女の後に続いてリビングへお邪魔しながら、俺は自分が結婚できるのだろうか、それ以前に女性と付き合えるのだろうかという漠然とした不安を抱いた。どんな女性と出会っても、寿美礼さんと比べてしまうのではないだろうか。
「きちんとお化粧しておいてよかったわ」
そんなことを呟きながら微笑む寿美礼さんの横顔を見つつ、俺はまだ見たことのない真夜中の彼女の顔を想像するのだった。
(終)