会社の同僚との二人だけの秘密
田丸理央さんは会社の先輩だ。
年齢は43歳、普段は経理として勤務する傍ら二児の母として主婦業もこなしている。
職場の奥様方と言えば、旦那さんへの愚痴で盛り上がるのが常だが、理央さんはあまりそういう話には加わらない。結婚して10年以上経つご主人とは今も関係が良好なのだろう。素直にそういうのは素敵だと思う。
真面目な性格で、どちらかといえば男性に積極的に話しかけるようなタイプではない。僕もどちらかといえば彼女と似たタイプなので共感するところは多かった。
そんな理央さんのことが僕は好きだった。
「佐山さん、お疲れ様です」
廊下で缶コーヒーを飲みながら小休憩していると、理央さんが挨拶をしてくれた。
「お疲れ様です。田丸さんもひと休みですか?」
僕が返答すると理央さんは困ったような笑みを浮かべた。
「参加しにくい話で盛り上がり始めたので……話を振られる前に逃げてきちゃいました」
「ああ、なるほど……」
おそらく事務所で奥様方が不倫や下ネタなどの際どい話題で盛り上がり始めたのだろう。
こういうご時世なので、僕もセクハラと言われないように曖昧な返答で誤魔化す。
普段ならそれで話を一区切りし、当たり障りのない話題へと移行するのだが、そのときは何故か違い、理央さんはさらに言葉を繋いだ。
「そういう話題自体が苦手だったり嫌いな訳ではないんですけど、経験もないし想像もできないので、話題に参加できなくて」
「その気持ちは僕も解ります」
おや? と思いつつ無視するわけにもいかないので、素直に同意を示す。
「……佐山さんは、男性同士で話すときもそうなんですか?」
なるほど。
確かに職場のおばさま達に対して異性である僕と、同性である理央さんとでは多少立場が違うかもしれない。
僕は苦笑いしつつ答える。類は友を呼ぶのだ。
「そうなんですか? ちょっと意外です」
「正直……他人に話したところで、という気持ちがあるんでしょうね」
学生の頃であれば、そんな話題でも盛り上がれたかもしれない。
だが、その人が誰と関係を持とうが持つまいが、結局こちらにとっては他人の話だ。奥さんと仲良くしようが、奥さん意外と仲良くしようが好きにすればいい。
「なるほど、男性は集団になってもそういう話題は話さないものなんですね」
「話さないというと語弊があるんですけど、……仮に話すとしても、なんというか、共有可能な話題になりがちですね」
「うん? 共有可能……ですか?」
「……つまり、属人的な経験談よりも、その気になれば体験したり、視聴できるような話題といいますか……」
僕が遠回しに補足説明すると、理央さんも、ああ……と合点がいったようだ。
彼女が何を思い浮かべて納得したのか、少し興味はあったが、もちろん口には出さない。それでなんとなくお互いに言葉を選んでしまい、ちょっと気まずい沈黙が降りた。まあ、僕と理央さんがこの手の話題を話したところでこんなものだ。何しろ二人とも得意ではないのだから。
理央さんは少し自嘲するように笑ってから口を開いた。
「ごめんなさい、変なことを聞いてしまって。でも佐山さんとなら私でもこういう話ができるかなって前から思ってたんです」
どうやら彼女は僕よりも、物事に前向きに取り組む性質のようだ。
「佐山さんの意見をお聞きしたいんですけど、いいですか?」
「僕で答えられる範囲であれば」
「事務所で皆さんが話している内容を聞いていると、なんだか楽しそうだなって思うんです」
「そうですね、楽しそうに話されていると思います」
下世話だけど、と心の中で付け加える。
「それで、もしかして自分は人生における楽しさを逃しているのではないか、と思い始めたんです」
「それは、まあ……人生における物事の優先順位は人それぞれですから」
「先ほどの佐山さんのお話ですと、そういう動画は、佐山さんもご覧になるんですよね?」
意外と踏み込んだ話題だが、周りに人もいないし彼女になら正直に答えてもいいか。
「そうですね、観ることもあります」
「私にも教えていただけませんか?」
「え?」
「私も観てみたいです」
僕は彼女の目を見て、彼女が本気だと悟った。いや……でも、なあ。
「……本当に観たいんですか? ああいうのは基本的に訴求対象を男性に定めていますから、女性が観ても面白くないかもしれませんよ?」
「そうだとしても、機会そのものを損失する理由にはなりませんので。私に合うかどうかは、見た上で判断すればいいのかな、と思ったんです」
一理ある、のだろうか?
機会の損失以前に時間の無駄なのでは、という気もしたが、それを含めて彼女が判断するというのであれば、僕が口を出すことでもないのかもしれない。
僕は彼女に大手アダルト動画サイトの存在を教えて、検索方法など大まかな構造と使い方を彼女に説明した。
◆◆◆
結論から言えば、アダルト動画自体はやはり彼女の琴線には触れなかったようだ。
「スポーツを題材にしたドラマやアニメを観ている感覚に近かったです」
というのが彼女の感想だった。
しかし、アダルト動画を観たことで、性行為そのものに対する興味と関心は増したらしい。
どうやら彼女の中で、新たな興味と関心が生まれるきっかけくらいにはなったようだ。
その結果、相談されたのはまたしても僕だった。
「佐山さんなら話しやすいですし、それに他の人に漏らさないだろうという安心感もありましたので」
と彼女は当然のように言った。
「……不倫ですか……」
「やはり、倫理的に問題ありますか?」
「そうですね、問題はあると思います。ただまあ、それ以前の問題として、確認なんですが僕はいま田丸さんに誘惑されている、という認識でいいのでしょうか?」
「え?」
彼女が目を丸くする。僕は言葉を続ける。
「勘違いだと恥ずかしいんですが、僕が口が固くて田丸さんにとってそういう対象になり得るから相談されているのかな、という風に解釈しましたが」
「あ……」と理央さんが小さく声を漏らして顔を赤くした。どうやら自分の言動の軽率さに思い至ったらしい。
「すみません、私ったら……自分のことばかりで」
彼女は慌てて頭を下げる。
「……その、佐山さんにだと話しやすくて、いいかなって……つい……」
なるほど、つまり僕への安心がそういう発言に繋がったということか。
しかし、はっきり言われてしまうと少し気まずいものがある。
「……すみません」
「いえ、謝ることはないですよ。信用してもらえているというのは光栄なことです」
理央さんは顔を上げないが、耳まで赤くなっているのを僕は見ることができた。
彼女はしばらくそのままだったが、やがておずおずと顔を上げた。そして上目遣いで僕を見て口を開く。
「……あの、佐山さん……私……」
「田丸さん、それ以上は言わないでください」「え?」
僕は彼女の言葉を遮ると、自分の胸に手を当てて続けた。
「僕も田丸さんのことが気になっていました。今度一緒にお食事にでも行きませんか?」
「……あ……」理央さんはまた顔を赤くした。そして少し逡巡してから口を開く。
「……あの、佐山さん……私でいいんですか?」
「僕もそういう話題は苦手ですけど、行為そのものへの興味はありました。それにそういう相手として真っ先に思い浮かべるとしたら田丸さんです」
僕が答えると、彼女は微笑んだ。その笑顔は今まで見た中でもっとも魅力的だった。
◆◆◆
不倫や浮気を職場で大っぴらにすることなどできるはずもない。ただ、お互いに時間を合わせて一緒に食事に行くようにはなったし、休日にはデートもしているし、男女の体の関係もある。
「佐山さん」
「ん?」
「私たちって不倫になるんでしょうか?」
「うーん……まあ、そうなりますね……」僕は少し考えてから答えた。
「……やっぱりそうですよね」理央さんが納得したように言う。
「不倫や浮気の楽しさや気持ちよさは、お陰様でよくわかりました。」
そう言って理央さんは色っぽい視線で僕を見ながら続ける。
「佐山さんはどうですか? 当初の目的は果たしたわけですけど、私としてはこのまま不倫を継続したいんですが」
「僕も同じです。田丸さんさえよければ」
僕が答えると、「よかった」と彼女はくすくす笑う。
「ただ実は、私こうして佐山さんと実際に不倫をしてみて、なおさら職場でそういう会話をする人の気持ちというのが解らなくなりました」
彼女は僕の下半身に細くて冷たい指先を這わせながら言う。
「僕も同感です。秘密にしておいた方が楽しいですよね」
不倫や浮気なんてしそうにない、真面目そうな女性が不倫をしていると、より一層興奮することを僕は彼女との関係で実感していた。
「ああいう会話が始まると前よりも困りますよね。私もう濡れちゃうから佐山さんの顔を見られないです」
冗談めかして理央さんが笑う。僕も彼女の白い肌をゆっくりと撫でる。
「わかります。僕も田丸さんを見ると硬くなってしまうから、そういう会話が始まりそうな気配に対して鋭くなってしまいました」
「そう! あれ、すごいですよね。佐山さんいつの間にかいなくなってるんですもん」
そんなふうに僕たちは顔を見合わせて笑い合う。
「なんだか話してたら、またしたくなっちゃいましたね」
理央さんはそう言うと、僕の下半身をまさぐっていた手を自分の下腹部に伸ばして、それから「んっ」と小さく声を漏らした。
「いいですね」
僕は体を起こして彼女の腰を抱き寄せる。彼女もまた甘えるように僕の首に腕を回してくるのでそのまま押し倒した。彼女は抵抗せずに僕を受け入れると足を絡めて誘ってくる。
「ではこれまで通りに関係を続けるということで。職場でも今まで通り同僚として接しましょうね?」
理央さんが念を押すように言ったので僕は頷き、彼女と唇を重ねながらゆっくりと挿入する。そして彼女の中に全てが納まったところで一度動きを止める。目線で問いかけると、理央さんは潤んだ瞳で微笑んでコクンと首肯する。それから彼女は両手を僕に向かって差し伸べてきたので僕は彼女の背中に腕を差し入れて抱き起こすように持ち上げた。
「もちろんです。それに……」僕は彼女の耳元で囁くように告げる。
「僕たちの関係は、二人だけの秘密ですからね」
すると彼女は僕の耳に軽く口づけをして囁いた。
「そうですね、秘密は蜜の味ですから」
(終)