休日の駐車場で一目惚れした熟女と(5)

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 麗子さんとの関係が始まってから数ヶ月が経ち、季節はすっかり夏になっていた。彼女との関係は変わらず続いている。だが俺の懸念も焦燥も、問題は何も本質的には解消していない。俺はメッセージアプリを起動して彼女が送信したメッセージを遡る。

『良太くん……今日はありがとう。あなたの気持ちは本当に嬉しかった。だから私も、あなたに幸せになって欲しいと思うの。自分のせいであなたが不幸になるのは耐えられない』
『もしも私があなたにとって必要なくなった時が来たら、遠慮なく言ってちょうだい。その時は潔く身を引くわ』

 あの日の彼女との会話がずっと心に引っかかっている。彼女との関係は変わらず続いているし、俺自身、彼女との関係を終わらせようなんて思えない。
「良太くん、どうしたの?」彼女が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。その心配そうな眼差しを見て俺は心が痛んだ。
「いえ、なんでもないですよ」そう言って微笑むと彼女は安心したように微笑み返してくれた。

 麗子さんと過ごす時間はとても幸せだ。彼女と出会ってからというもの、人生観が一変したと言っても過言ではないだろう。彼女は俺にたくさんのものを与えてくれた。だからこそ彼女には幸せになって欲しいし、俺も彼女を幸せにしてあげたいという気持ちがある。
 だがその一方で不安もあるのだ。俺は彼女に相応しい男なのか? 本当に俺でいいのか? そんな自問自答が頭の中でぐるぐると回り続ける。そしてその度に焦燥感に襲われるのだ。

 麗子さんの様子も少し変わった気がする。具体的にどこがどうとは言えないのだが、以前と違って見えるのだ。
 ある日、いつものように彼女に会いに行くと、ドアを開けるなり彼女は俺を抱きしめてきた。
「良太くんっ!」と切羽詰まった声で名前を呼ばれ驚いたものの、すぐに彼女の様子がおかしいことに気付き「大丈夫ですか?」と訊ねる。すると彼女は目に涙を浮かべながら答えた。
「最近、体調が悪くて……不安なの」
「どこか悪いんですか?」と聞くと彼女は首を横に振った。
「特にどこが悪いってわけじゃないんだけど、でもなんだか怖くて」と不安げな表情を浮かべていた。

 俺は彼女を安心させるように優しく抱きしめた後、彼女の手を引いて寝室へと向かった。そしてベッドに寝かしつけた彼女の隣に座り手を握ったまま他愛もない話をし続ける。しばらくすると彼女は落ち着いたのか穏やかな寝息を立て始めた。その寝顔を見ながら俺は改めて彼女のことが好きだと思ったし手放したくないと思った。
「良太くん……今日はありがとう」と目覚めた麗子さんが恥ずかしそうに言った。
「いえ、麗子さんが俺にしてくれたことに比べれば、これくらいなんてことありません」笑顔で答え麗子さんの髪を撫でる。すると彼女は嬉しそうな表情を見せた後、ゆっくりと身体を起こしてキスした。しばらく唇を重ね合わせるだけの口づけをしながら、お互いの体温を感じ合っていた。

「良太くん……私、幸せよ」と麗子さんは言った。
 彼女が俺を強く抱きしめてくる、その力強さに少し驚く。
 安心感を覚えながらも興奮もまた抑えきれず、鼻腔いっぱいに広がる甘い匂いに頭がクラクラした。しばらく堪能していると不意に彼女が俺の頭を撫で始めた。まるで母親が子どもをあやすかのような優しい手つきに、思わずうっとりと目を閉じてしまう。
「麗子さん……」と俺は甘えた声で呼びかける。
 彼女は「んっ……」と艶めかしい声を漏らしながら、身体全体で俺を感じているようだ。彼女の柔らかい胸が俺の胸板に押し付けられる。服から露出した肌と肌が触れ合うたびに、彼女の抱擁がもたらす衣擦れで皮膚が刺激されるだけで、俺もまた麗子さんに全身で愛撫されているような感覚に陥る。彼女の湿った吐息が耳元にかかるたびに、俺の身体はビクッと跳ね上がった。

「あっ……だめ、良太くんっ……そこはっ」と麗子さんが切なげに漏らす。
 彼女が感じてくれていることが嬉しくて夢中で抱きしめていると、次第に彼女も我慢できなくったのか、俺の首筋に舌を這わせた。ゾクッとする感覚が背中を走り、思わず声が出てしまう。そんな俺の様子を彼女は上目遣いで見つめながら唇を重ね合わせて舌を絡ませた。
 お互いの唾液を交換し合い、息継ぎをする余裕すらないくらい激しい口づけを交わすうちに頭がボーッとしてくる。酸欠のせいかそれとも興奮によるものなのかはわからないが、とにかく身体が熱くなり思考能力が低下していく。しかしそれが心地良くもあり、同時にある種の不安を覚える原因でもあった。まるで自分が自分ではなくなっていくような感覚に陥るのだ。
「良太くん……来て」と彼女が囁く。その言葉だけで俺の理性は完全に吹き飛んだ。俺は彼女に覆い被さると、本能の赴くままに彼女を求めた。

 翌朝、目が覚めると隣には麗子さんがいた。昨晩の激しさを物語るように彼女はまだ眠っている。乱れた髪や衣服に俺は罪悪感を抱いたが、同時に充足感も感じていた。彼女の髪を撫でながら「麗子さん」と呼びかけると彼女はゆっくりと瞼を開けた。そして少し照れくさそうに微笑むと「おはよう」と言った。
 その笑顔を見た瞬間、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。俺は彼女への愛おしさが込み上げてきて彼女を強く抱きしめる。彼女もまたそれに応えるように俺を抱き返してくれた。
「麗子さん、愛しています」と俺は言った。
「私もよ、良太くん」と彼女は答えた。

◆◆◆

 麗子さんと出会ってからの数ヶ月、彼女と過ごした時間は濃密でそれでいて楽しいものだった。時には喧嘩をしたりすることもあるがそれでもその度に仲直りをしてきたし、二人でいる時間が何よりも幸せだった。いつしか俺は彼女とずっと一緒にいたいと思うようになった。彼女と人生を添い遂げたいと願うようになっていた。
 もちろん受け入れてもらえない可能性はある。俺と麗子さんの年齢や立場はあまりにも違う。だが俺は必ず麗子さんに相応しい男になる決意を固めたし、その決意から苦しくなっても逃げないため、そして待っていてもらうために、彼女に想いを伝えたかったのだ。

 数日後、待ち合わせ場所に着くと麗子さんは既に待っていたようで、俺の姿を見ると手を振ってくれた。
「すみません、お待たせしてしまって」
「大丈夫よ、私も今来たところだから……」そう言って微笑む彼女の笑顔にドキッとした。
「それで……今日はどうする?」麗子さんが聞いてきたので俺は深呼吸をしてから覚悟を決め口を開いた。

「麗子さん、聞いて欲しいことがあります」
 彼女は優しく微笑みながら「何かしら?」と訊ねる。
「あの……麗子さん」と言いかけたところで、ふいに麗子さんが手で俺の言葉を遮るような仕草をした。
「そうだ、良太くん……先に私の話からしてもいいかしら?」
「は、はい……」と俺が戸惑いながらも答えると彼女は言葉を続けた。
「実はね、私……結婚することにしたの」

 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。しかしすぐに頭が真っ白になった後、俺は何も考えられなくなっていた。ただ呆然としている俺に構わず彼女は話を続けた。「相手は仕事の取引先の人でね、前から良いなと思っていた人なの」そう語る彼女を見て俺は胸が締め付けられるような思いだった。
「良太くん……大丈夫?」彼女は心配そうに訊ねてきた。俺は慌てて笑顔を作ったが、うまく笑えたかどうか自信がなかった。
「いえ……ただ驚いただけです」と取り繕うように言ったが、麗子さんは悲しそうな表情を浮かべていた。

「良太くん……ごめんなさい」と彼女は頭を下げた。
 そんな彼女を見て俺は胸が張り裂けそうになる。だがそれでも彼女の幸せを願うならここで身を引くべきだし、そうすることが彼女へのお礼だと思った。だから俺は彼女に別れを告げることにしたのだ。
「俺の方こそ……すみませんでした」
 それは何に対しての謝罪だったのだろうか。自分でもわからない。感謝でもお祝いでも、本来ならもっと他に伝えるべき言葉があるはずなのに。
「謝らないで良太くん……あなたは何も悪くないわ。ただ……私のわがままを許して……」
 それからしばらく沈黙が続いた後で麗子さんは立ち上がった。そして「さようなら良太くん……今までありがとう」そう言い残して彼女は立ち去るのだった。

 彼女の後ろ姿を見送ることさえできず、俺はうなだれたまま「これで良かったんだ……」と自分に言い聞かせるように呟く。しかしその言葉とは裏腹に心は激しく痛み続けていた。目を閉じると自然と涙が溢れてくる。彼女と過ごした日々の思い出が蘇ってくる度に胸が締め付けられるような感覚を覚えると同時に後悔の念が込み上げてくる。しかし今更後悔したところでもう遅いのだということを理解していたからこそ余計に辛かった。
 その後のことは正直あまり覚えていない。どうやって帰ってきたのかも記憶にない。ただ気づいた時には自宅の前に立っていた。そしてそのまま玄関を開けて中に入るなり、俺は膝から崩れ落ちるように座り込んだ。


(続く)