憧れていた清楚妻の本性は……(2)
店内を歩いていると、事務室から出てくる康江さんの後ろ姿を見かけた。挨拶しようとするが続けて店長も出てきたため、声をかけるタイミングを逃し僕は咄嗟に身を隠した。店長と康江さんは、事務室から少し離れたところで立ち話をしている。僕は物陰に身を潜めて聞き耳を立てた。
「この前の話、考えてくれた?」と店長が問う。
「……まだ少し……時間をもらえませんか」
康江さんの声のトーンが心持ち低くなったのを感じる。
「わかった、無理強いはしないよ。でも出来れば早めに返事は欲しいかな」
「はい……」
それだけ言うと二人は別々の方向に歩き出したので、僕は慌てて自分の業務に戻った。しかし心の中は二人の会話のことでいっぱいだった。『何の話だろう?』という好奇心めいたものもあるにはあるが、それ以上に不安な気持ちが勝る。やっぱり店長と不倫しているのでは……いやでもまさか……。
その日以来、僕の思考はひたすらそのことばかりになってしまった。康江さんと出かけるのが楽しみな気持ちと、妄想と嫉妬に苦しむ自分の心との板挟みになり、思い悩む日々が続いた。
そもそも何故、康江さんは僕をフラワーパークに誘ったのだろうか。一緒に出掛けるのが嫌な相手ではなかった、というのは理由の一つだろう。だからといってデートといえるかは微妙な年齢差だ。気まぐれで誘ってみただけ? それとも何か意図があるのだろうか。例えば、やっぱり康江さんの不倫相手は店長で、そのカモフラージュのためとか。
日に日に不安は増すばかりで、他のことにも集中できないほどだった。そんな僕の様子を見かねたのか、勤務終わりに店長が声をかけてきた。
「公康くん、最近なんだか元気ないみたいだけど」と心配そうな声で言われ僕は慌てて否定した。
「いえ、大丈夫です。すみません」と返すものの、内心は気が気ではない。まさか康江さんに関する不安を店長に相談しても仕方ないし。店長だって、康江さんと不倫していますか? などと質問されても困るだろう。
結局、それ以上は何も言えず黙っていると、店長が続けて口を開いた。
「公康くんは今年受験だよね? 勉強とか大変じゃない?」
「あ……はい、まあ……」
突然の質問に戸惑いつつも答える。すると店長は納得したように頷く。
「勉強は教えてあげられないけどさ、シフトのこととか相談があれば遠慮なく言ってね」
そんな話をしていると、康江さんも仕事を終えたのか「お疲れ様です」と言いながら歩いてくる。僕は反射的に挨拶を返すものの、やはり店長と康江さんが不倫しているのではという疑念が拭えず、ぎこちない挨拶になってしまう。
「じゃあ、二人ともお疲れ様。気をつけて帰ってね」
そう言って店長が去ると僕と康江さんは二人きりになった。
「公康くん、なんだか疲れてるみたいだけど……大丈夫?」
心配そうな口調で訊ねる彼女に、僕は慌てて取り繕う。
「いえ、大丈夫です。寝不足でぼーっとしてただけです」
「そう? それならいいんだけど……。あ、そうだ、約束の件なんだけど、ちょっといい?」
そう言われて、なんだろうと思いつつ大人しく康江さんについていくと、彼女は自分のバッグから何かを取り出して僕に渡した。
それは薄い紫色をした紙片で、よく見るとフラワーパークの入場券だった。
「このあいだ約束したでしょ? 一緒に行くって。せっかくだから前売り券を買っちゃった」
思わぬ展開に呆然とする僕をよそに、彼女は嬉しそうに話を続ける。
「公康くんは何時頃の出発がいい?」
「あ……僕はいつでも大丈夫なので、康江さんに合わせます」と何とか言葉を返す。
「うん、わかったわ。じゃあ出かける前に連絡するね。待ち合わせは駅前にしましょうか」
そういって立ち去ろうとする彼女に向かって、僕は慌てて声をかける。
「あのっ」と少し上擦った声が出てしまう。
彼女は不思議そうな顔をして振り向いたので、僕は緊張しながらも口を開いた。
「その……すごく嬉しいです! 絶対行きます!」
僕の言葉に康江さんは一瞬驚いた表情を見せたあと「うん、楽しみだね」と微笑んだ。
◆◆◆
そして週末、僕と康江さんは午前中の少し早い時間に待ち合わせをした。梅雨の晴れ間に恵まれて青空が広がる中、駅で落ち合いそこからは康江さんの運転する車に乗り目的地へ向かう。驚くほどとんとん拍子で物事が進み、正直まだ信じられない気持ちだ。昨夜は緊張して眠れなかったし、待ち合わせ場所で康江さんを見つけるまでは、妙にそわそわしてしまった。
先に到着していた彼女は、白いブラウスに薄いピンクのフレアスカートという出で立ちで僕を待っていた。その姿をひと目見たとき、僕は思わず言葉を失った。彼女の清楚な美しさが陽光の下でより際立って見えて、まるで僕の想像の中から出てきたかのような錯覚さえ覚えた。
「公康くん、こっちだよ」と微笑む彼女に見惚れていると「どうかしたの?」と不思議そうに訊かれてハッと我にかえる。
「いえ……その、私服の康江さんが新鮮で……すごく似合ってます」と慌てて答える僕に、彼女は照れたように「ありがとう」と言って笑うと車の方へ案内してくれた。
彼女が助手席のドアを開けて僕を招き入れ、そして自らも運転席に乗り込みシートベルトを締める。その動作一つにしても洗練されていて輝いて見えるから不思議だ。
「じゃあ、出発するね」と康江さんが声をかけてくるので僕は頷く。彼女の運転は慣れたものでスムーズで安心感があった。目的地までの道中、僕らは他愛のない会話を交わした。最初は主に職場での話だったが、やがて康江さんが僕の学校での話を聴きたがったので、問われるままに答えていく。1時間ほどのドライブを経て目的地に到着する頃には、すっかり緊張も解けていた。
入場ゲートを通過して中に入ると、園内は別世界のように広々としていて開放感がある。僕等は受付で貰ったパンフレットを手に順路に従いながら、色とりどりの花々が咲き乱れる景色を散策する。
途中、フラワーガーデンの目玉である群生するアジサイの前で康江さんが足を止める。「綺麗ね」と呟く彼女につられて見ると、青や紫の花たちが競い合うように咲き誇り、その美しさに圧倒される。
「本当ですね……すごい」と思わず感嘆の声を漏らす僕を見て、康江さんは嬉しそうに微笑む。そして彼女は少し悪戯っぽい口調で言う。
「公康くんって、恋人とこういうところに来たことないんだよね?」
「そうですね、初めてです」と無意識に答える僕に対して、彼女は一瞬だけ戸惑ったようだが、
「じつは私もなの。だから今日はすごく楽しみにしてたのよ」と続けた。
「そうなんですか?」と返す僕に、彼女ははにかんだような照れ笑いを浮かべる。普段あまり見ることのない表情に僕の心臓は大きく跳ね上がる。同時に僕は嬉しさで舞い上がりそうになる自分を何とか抑えようとしたのだが、努力も空しく口元が緩んでしまうのを感じる。そんな僕を見て、康江さんは可笑しそうに笑うのだった。
それから僕らは園内を回りながら様々な花を見たり、写真を撮ったりして過ごした。途中でお昼ご飯を食べたりしたけれど、その間もずっと楽しく過ごせた。康江さんは普段よりも少しはしゃいでいる様子で、一度つまずいて僕が慌てて抱き留めた状況もあった。
「ありがとう……なんだか恋人同士のデートみたいでドキドキしちゃうね」
康江さんが僕の腕の中で照れ笑いを浮かべそんなことを言うのでつい顔が赤くなってしまう。
「……公康くんからみたら、私みたいなおばさんにそんなこと言われても困っちゃうだろうけど……」
彼女の冗談めかした言葉に、僕はつい反射的に「そんなことないです!」と答えていた。
「僕は康江さんのこと、前からずっと、すごく素敵な女性だと思ってます……!」と勢いのまま口にしてしまい自分でも驚いたが、彼女はもっと驚いた様子だった。
「……ありがとう」と言って俯く彼女の頬は赤く染まっている。その様子を見て、僕はますます自分の心臓の音が早くなるのを感じていた。
「公康くんって優しいね……」と呟く彼女に対して、何と答えればいいのかわからず言葉に詰まってしまう。そのまま沈黙が流れる中、先に口を開いたのは康江さんの方だった。
「えっと、ほら、向こうにも一面のアジサイが咲いてるみたい!」と話題を変えるように言って少し離れた場所を指さす。僕もその言葉に救われつつ、精一杯の勇気を出して「本当ですね、行ってみましょうか」と言いながら、できるだけ自然に彼女の手を握る。その手は柔らかくて温かくて、ほんの少しだけ汗ばんでいた。
康江さんは「……うん」と小さな声で答えると、そのまま僕の腕を取って抱え身体を密着させ、
「また、さっきみたいに躓いちゃうと危ないから、腕を組んで歩いてもいい?」と、まるで言い訳するように続けた。
「……はい、もちろん」と僕も上擦ってしまいそうな声で何とか応えると、そのまま二人で腕を組んで歩き出した。
◆◆◆
園内の散策を終えて車に戻る頃には、ちょうど一日の中で最も熱くなる時間帯になっていた。車に乗り込むと康江さんはエンジンをかけ冷房を利かせる。そして助手席に座る僕に向かって、改めて「今日はすごく楽しかった、本当にありがとう」と言った。
「一緒に回りながら、公康くんと一緒ならどこに行っても楽しめそうって思っちゃった」
彼女の言葉に、僕も「はい」と答える。そしてお互い見つめ合い、どちらからともなく顔を近づけて唇を重ねた。それはほんの一瞬の出来事だったが、僕にとってはとても長く感じられた。やがて唇が離れると彼女は照れ笑いを浮かべる。
「……公康くん、キスするの初めてだった?」
その質問に僕は素直に頷くことしかできなかったが、彼女は優しく微笑んでもう一度軽く口づけをしてくれた。
彼女の舌が控えめにノックするように唇に触れる。僕はそれに応えるように少しだけ口を開くと、そこから彼女の舌が遠慮がちに差し込まれ、僕の舌に優しく触れ合った。お互い探り合うようにぎこちなく舌を絡め合わせるうちに徐々に気持ちが昂ぶり始めてしまう。
やがてどちらからともなく唇を離すと、お互いに照れ笑いを浮かべる。
「公康くんってキスが上手なんだね……びっくりしちゃった……」
そう呟く彼女に、僕は恥ずかしさで何も言えないまま俯いてしまうのだった。しばらく車内を沈黙が支配していたが、やがて彼女が口を開く。
「ねえ公康くん……暑くなってきたし、……ちょっとだけ、涼める所で休憩しよっか?」
僕はその言葉の意味を理解して、何も言えずただ黙って頷くだけで精一杯だった。
それから康江さんの運転でホテルに向かった。駐車場からは部屋に直接階段で上がることができて、人目につく心配はない。僕は初めて訪れる場所の物珍しさにきょろきょろと観察していたのだが、部屋に入るなり康江さんに強く抱きしめられた。そのまま壁に背中を押し付けられ情熱的なキスで唇を奪われる。
「ごめんね、いけないって解ってるけど……私もう身体が疼いて、我慢できないの」
先ほど初めて経験したキスとは違う、唇を愛撫するような卑猥な舌の動きを受けて、とっくに勃起していたペニスの先端からは液体がじんわりと滲み出る。
「んっ……、公康くん……可愛い」
彼女はそう呟くと、今度は僕の首筋に吸い付きながら片手で器用にシャツのボタンを外していく。そして露になった素肌に優しく触れながら「公康くんの肌ってすごく綺麗ね……」と囁き、ゆっくりと下半身へと手を這わせていく。僕は緊張のあまり何も言えずにされるがままになっていたが、やがてその手はベルトにかかりズボンを下ろす。
「……もうこんなになってくれてるんだね」と嬉しそうに微笑む彼女に見つめられ抵抗することもできず、その日、僕はずっと憧れていた年上の女性と、初めてのセックスを経験した。
(続く)