路面電車で出会った女性との、白昼夢のような日々に迷い込んでいる(2)

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 駅前のカフェは休日の午後だというのに、それほど混雑していなかった。
 僕と彼女は窓際のテーブルに向かい合い座り、コーヒーとケーキを注文する。彼女はホット、僕はアイスだった。
「あの……」
 僕は彼女に話しかけようとして言葉に詰まった。何を話していいのかわからないのだ。

 話題に窮した僕に、彼女は小首を傾げる。その仕草がとても可愛らしかったので、思わず見惚れてしまい言葉を忘れた。そしてそんな自分がいよいよ恥ずかしくなり思わず下を向いた。
「大丈夫ですか?」
 心配そうな彼女の声に、このまま黙っていても仕方がない、と勇気づけられる。とはいえ何から話していいのかわからない状況に変わりはない。僕は素直に自分の気持ちを伝えることにした。

「すみません。何を話したらいいのかわからなくて」
 すると彼女はおかしそうに笑った。その笑顔は美貌にそぐわない無邪気さを感じさせて、よりいっそう彼女の魅力を引き立てているように見えた。
「私もです」
 彼女はそう言って頷いた。
「……でも、そうですね。気になっていることがあります。どうして私に声をかけたんですか?」
 彼女は好奇心をたたえた瞳で、本当に不思議そうに尋ねた。

「えっと……それは……」
 僕は何と答えていいのかわからず、意味もなくアイスコーヒーのストローを回した。カラカラという氷の音だけが聞こえる。
 彼女はそんな僕を見て、少し微笑んだ。
「不躾な質問でしたね、こんな風に誘われたのが始めてだったので興味があったんです」
 そして彼女はコーヒーに口をつけた。その所作には気品があり僕とは別世界の存在のようだ。
 よく考えたら、話の端緒を掴もうにも僕は彼女のことを何一つ知らない。ただ美しいと思うだけで。

「あなたに声をかけたのは……あなたがとても綺麗だったからだと思います」
 だから僕は正直にそう答えた。
「そう」と彼女はおかしそうに笑った。
 そしてまたコーヒーに口をつける。それはただの動作でしかないはずなのに、彼女がすると何か特別な意味のあるサインのようにも見えた。

 彼女はカップをテーブルの上に戻してから静かに尋ねた。
「よかった。……気のせいだったら恥ずかしいと思っていたんですけど、電車の中で私を見ていたのも同じ理由からですか?」
 彼女の発言を聞いて僕は焦った。バレていたとは思わなかったのだ。
「はい、そうです」嘘をついても仕方がないので頷く。

 彼女は少し考えるような仕草をしながら口を開く。
「もしかして、これまでにも何度か電車でご一緒したことがありますか?」
「……いえ、今日が初めてだと思います」
「……まあ……」
 彼女はそう言うと、首を傾げ優雅な仕草で僕の顔をじっと覗き込んできた。まるで心の中を探られているような気分になる。

「あ、あの……」
 疑われているのだろうかと動揺して思わず目をそらした。彼女はそんな僕を見て微笑む。
「ごめんなさい、疑っているわけじゃないんです。でも私、あなたをお見かけしたことがある気がするんです」
「え?」
 僕は思わず戸惑いを口にする。彼女の美しさに魅了されているせいなのか、それとも白昼夢でも見ているからなのか、頭がくらくらした。

「なんだかとても懐かしい感じがします……今日が初めてのはずなのに」と彼女は困惑した様子で呟いた。
 そしてまたコーヒーを口に含む。どうやら考え事をするときの癖のようだ。
 僕はどう答えたらいいのかわからず、黙ってグラスの表面に結露した水滴を見つめていた。コーヒーカップをテーブルに置いた彼女が、少し困ったような微笑を浮かべているのが判った。

「……不思議な感じですね」
 それから彼女は何かを確かめるように僕の名前を呟く。
「蓮見壮馬さん……綺麗な名前です」
 彼女の唇が紡ぐと、聞き慣れた自分の名前すら特別な呪文のように僕の心を震わせる。

「改めまして、私の名前は高村沙耶です……」
 そう言うと彼女はじっと僕を見つめた。その美しい瞳に吸い込まれそうな錯覚に陥る。
「高村さん……」と僕は彼女の名前を反芻するように呟く。すると彼女は少し照れたような表情を見せた。
「あの……もしよければ沙耶と呼んでもらえませんか? 私も壮馬さんと呼びたいので」
 僕は頷く。
「えっと……沙耶さん」
「はい」彼女は嬉しそうに笑った。

◆◆◆

「壮馬さんはひどい人です」
 彼女は両手で顔を覆い悲しんでいるフリをするが、顔と手の隙間からわざとらしくこちらを見ているので、僕の反応を伺っていることは明らかだ。

 発端は、彼女との待ち合わせに遅刻した僕が、遅刻のみならず買い物の途中で居眠りまでしたことにある。
「ごめんなさい」
 僕は素直に謝る。本当に申し訳ないと思っているからだ。
 彼女は僕の謝罪に、わざとらしく溜息をついてみせる。そして「まあ……いいですけどね」と呟いた後、すぐに笑顔になった。その変わり身の早さにはいつも感心させられるし、同時に彼女の優しさと気遣いを感じる。

「お仕事で疲れているんでしょう? せっかくのお休みに私の買い物に付き合ってもらい有難うございます」
 彼女はそう言うと、僕の手を取った。そしてそのまま歩き出すので僕は黙ってその後に続くことにした。
「あちこち歩いて疲れちゃいましたよね。あちらに公園がありますから休憩しましょう」
 寝不足なのは仕事のせいではなく、彼女と出かけられるのが嬉しくて寝付けなかったからなのだが、そんな子供じみた理由まで白状するつもりはない。彼女と不釣り合いな一般人であることを自覚している僕でも、見栄を張りたい気持ちくらいあるのだ。

 僕らは公園の中のベンチに並んで腰掛けた。
 彼女はバッグから水筒を取り出してコップに注ぐ。そして「どうぞ」と僕に差し出した。
「いただきます」と言って僕はそれを口に運ぶ。紅茶の良い香りが鼻に抜けると同時に、すっと心地よい冷たさが身体の中に染み渡っていくのを感じた。それはとても美味しくて、今まで飲んだどんな飲み物よりも僕を幸せにしたと思う。

「美味しいです」と素直に感想を伝えると、彼女は嬉しそうに微笑む。
 そして何のためらいもなく、ごく自然に僕の唇に自らの唇を重ねた。たぶん無意識にキスをした彼女は、自分でも驚いたように少し目を見開いたが、すぐに気を取り直して目を閉じると、そのまま唇から感じる温もりを感じていた。なお、唐突に脈絡なくキスをされた僕の混乱は言うまでもないので省略する。

「……今日は本当に有難うございます。私のために時間を割いていただいて」と彼女は改めて言った。
 僕は慌てて首を振る。
「いえ、僕のほうこそ沙耶さんと一緒に過ごせて嬉しかったです」
 そう答えたものの、なんだか気恥ずかしくて思わず下を向いた。すると彼女はそんな僕を見てクスクスと笑った後「私もです」と言って僕の手をそっと握ってきたのだった。

◆◆◆

 僕の中にはいくつもの彼女との思い出がある。それらは散逸して、野放図で、意味や脈絡を放棄したかのような振る舞いをする。輪郭すら曖昧なそれらが、僕の心の中で浮かんでは沈んでいく。

 彼女の長いまつ毛の下には潤んだ瞳があった。その瞳がゆっくりと閉じられるのを見て、僕は思わず彼女の肩を抱き寄せようとした。
 しかし、彼女は僕の手を優しく制して「駄目ですよ」と囁いた。
「でも……」僕は思わず不満そうな声を上げる。
「だってここは外ですもの……誰かに見られたら恥ずかしいです」
 彼女はそう言って挑発するような微笑を浮かべた。その仕草が妙に艶めかしく感じられてドキリとすると同時に、彼女の言葉にはっとした。確かに僕は外で何をしようとしていたのだろうか?

「……すみません」
 僕が謝ると、彼女は微笑んで首を振った後、ゆっくりと顔を近づけてきた。そして唇が重ねて舌を挿入してくる。僕はその動きを受け入れると、彼女の背中に手を回して抱きしめた。
「ん……うん」
 思わず声を漏らす僕に構わず、彼女は僕の口腔内を犯し続けた。呼吸が苦しくなり頭がぼうっとしてくる頃になってようやく解放される。
「……でも、したくなったのなら、仕方ないですよね」
 彼女の顔は上気し息遣いが激しくなっているように見えた。そしてそれは僕も同じだったのだろうと思う。辺りを見回すが人影はないようだ。

 彼女はゆっくりと自らの胸元を開いて、僕がそこを覗き込むように誘導する。本能に従い動くものを視線が追い、白い肌を飾る扇情的な赤い下着にズボンの中が硬くなる。
「ねえ、壮馬さん……私を見てください」
 視覚だけではなく聴覚からも彼女の存在が沁み込んでくる。微笑む彼女の表情は美しくもあり同時に妖艶でもあった。
 僕は彼女の言葉に誘われるまま、視線を下げて胸元を見る。装飾された白く美しい膨らみの谷間が、しっとりと汗で艶めいているのがわかった。それがまるで何かを待ち受けているかのようにも見えて、僕は思わず生唾を飲み込んだ。

「もっと……見て」
 彼女は甘い吐息と共に囁くと、自ら両手で胸を持ち上げるようにして僕に見せつける。その仕草に僕は理性を失い、ただ彼女を求めずにはいられなくなった。
「沙耶さん……」
 僕が名前を呼ぶと、彼女は嬉しそうに目を細める。そしてそのまま僕の首に手を回し抱きついてきたかと思うと、耳元で囁いた。
「……ここで、したいですか?」
 その言葉を聞いた瞬間、頭の中で何かが弾けるような音がした。次の瞬間にはもう何も考えられず、本能の赴くまま彼女の胸に手を触れていた。

「んっ……」彼女は一瞬身体を硬くするが、すぐに力を抜いて身を委ねてきたので僕は遠慮なく彼女の胸を揉みしだいた。柔らかく弾力のある乳房が手の動きに合わせて形を変える。その感触は心地よくいつまでも触れていたいと思わせるほどだった。
 彼女は切なげに吐息を漏らすと、僕の背中に回した腕に力を込めた。そして自ら腰を押し付けるように動かしてきたため、衣服越しにお互いの性器が強く擦れ合う。
「沙耶さん……」
 僕が名前を呼ぶと彼女は顔を上げてキスをしてきた。舌が絡み合い唾液が混ざり合う音が響く。その間もずっと彼女の腰の動きは止まらない。
「壮馬さん……好き」
 彼女は熱に浮かされたような表情で呟く。その声を聞いていると足元がふわふわしてくるようだ。僕は支えを求めて夢中で彼女に縋りつき、その身体を貪り求め続けた。


(続く)