過剰な色気を振りまき職場で失笑されている年増の人妻熟女
うちの職場に50歳を越えた人妻がいる。佳代子さんは年齢の割には顔もスタイルも衰えていないと思う。メイクは濃いが常識の範疇だし、性格も社交的で親しみやすい。仕事をする上では問題ないし、誰とでも分け隔てなく接する。雑談だってそこそこ盛り上がる。
ただ自己認識に少々問題があって、自分のことを物凄くイイ女だと思っている節がある。ボディラインの出る服装を好み、絡みつくような喋り方もセクシーと言うよりは鬱陶しい。若作りをして若い男に媚態を振りまくものだから、職場の皆からは苦笑され呆れられている。わざとらしく過剰で、まるでコントのようだ、といえば伝わるだろうか。
とはいえ、俺は彼女のことは嫌いではない。その態度や普段の振る舞いで損をしているだけで、もっと普通にしていれば、むしろ逆に男性から誘われることもあるのではないか、と密かに思っている。だから俺は彼女と積極的に関わるし、あくまでも女性として扱う。彼女も一回り以上年下の男から女扱いされて嬉しいようで、俺と話すときは、他の職員と話すときよりも、声が1オクターブ高くなる。
たぶん職場の皆は、俺と佳代子さんの関係を、若い男が好きな既婚の年増女と、そんな女性を面白がって慕う若手社員、くらいにしか思っていないだろう。なにしろ年齢が離れすぎているし、彼女は露骨に女をアピールしすぎて、逆に女として見られていない存在だから。
俺としては彼女との仲を進展させたいし、あわよくば体の関係を持ちたいが、そういう方面に関していえば彼女は意外なほどに保守的だ。旦那さんとは長らくセックスレスだと愚痴をこぼすが、かといって不倫をするという発想はない。もちろん、俺に対して体の関係を誘ってくるようなこともない。おそらく彼女の服装も振る舞いも、自分がいつまでも女性であると思い込むための、あくまでも自分自身のためのものなのだろう。
ボディタッチだって多いが、一度俺の方から彼女の手を握ったら、慌てたように頬を染めて俯き動揺していた。そんな可愛い一面があることは、たぶん職場では誰も知らない。俺だけが知っている彼女の一面だ。
◆◆◆
「ねえ、伊崎君。今夜一緒に飲みにいかない?」
俺が帰り支度をしていると、佳代子さんが声をかけてきた。彼女が異性を飲みに誘うのは珍しい。
「え? 何か相談事でも?」
「ううん。ただ飲みたいだけ」
彼女はそう言って、俺の肩に軽く手を置いた。その仕草は妙に色っぽい。
「いいですよ」俺は彼女の誘いを受けた。もちろん断る理由なんてないし、むしろ大歓迎だ。
「それじゃあ、帰る準備ができたら入口のところで待っててね」
佳代子さんはそう言い残すと女子更衣室へと歩いて行くのだが、その後ろ姿が何だか少し寂しそうに見えて首を捻る。本当にどうしたのだろう。彼女は良くも悪くもマイペースで、こういう「イイ女ではない自分」を他人に見せない。俺は彼女を待たせてしまわないように、手早く帰り支度を済ませて待つことにした。
「お待たせ」
俺を見つけた彼女が小走りで駆け寄ってくる。妙に可愛らしい仕草だ。
「じゃあ、行きましょうか」
俺は年下の無遠慮な無邪気さを装いつつ彼女の手を握った。佳代子さんは一瞬驚いたような表情を浮かべた後で、すぐにどこかほっとしたような笑顔になる。そしていつものように滑稽にも見える媚態をつくりながら、けれどもおずおずと遠慮がちに腕を絡めてきた。
「ねえ伊崎君は何が食べたい?」
「何でもいいですよ」
「それじゃあ……焼き鳥はどう?」
佳代子さんはスマホで近くのお店を調べながらそう言った。
「いいですね」俺たちは並んで歩きながら焼き鳥屋へと向かった。
◆◆◆
少しして俺と佳代子さんは二人で居酒屋のカウンター席に着いていた。俺はビールを、彼女はハイボールを飲んでいる。
「今日は誘ってくれてありがとうございます」
俺が改めてお礼を言うと、彼女は笑って首を横に振った。
「私の方こそ。いつも伊崎君に頼ってばかりでごめんね」
彼女のその台詞に俺は驚いた。まさか今までそんなことを考えていたなんて思いもしなかったからだ。
「……いや、俺が好きでやってることですから」
「でも、伊崎君だって大変なんじゃない? こんなおばさんの相手ばっかりさせられて」
彼女はそう言うと自嘲するように笑った。その仕草に作りものではない色っぽさを感じてドキリとする。
「別に大変じゃないですよ。佳代子さんにはいつもお世話になってますし、それに……」
俺はそこで言葉を切ると、少し考える素振りをしてから続けた。
「……俺、佳代子さんのこと好きですから」
「えっ?」彼女が驚いたように目を丸くする。
俺はそんな彼女の反応を見て、自分の頬が熱くなっていくのを感じた。
「……冗談ですよ。冗談」
照れ隠しのためにビールをあおる。正直、心臓がバクバクと鳴っていた。
「……そっか……」佳代子さんは小さく呟くと俯く。その様子はどこか落ち込んでいるようにも見えた。
気まずい沈黙が続く中で、失敗したかなあと反省しつつ飲む。やがてジョッキが空になったところで、佳代子さんが再び口を開いた。
「ねえ……伊崎君はさ、私のことどう思う?」
彼女は俯いたままそう尋ねる。その声は少し震えていた。
「え?」俺は質問の意図が判らず聞き返す。まさかこの流れでそんなことを聞かれるなんて思いもしなかったから。
「私のこと嫌い? それとも……好きなの?」
彼女は俯いたまま言葉を続ける。その声はどこか切実さを感じさせるものだった。
「そりゃ、好きですよ」とぶっきらぼうに答える。佳代子さんは顔を上げない。俺はそんな様子に違和感を覚えて、彼女の顔を覗き込んだ。すると彼女の目尻には涙が滲んでいるのがわかった。
「……どうして泣いてるんですか?」
俺が尋ねると、彼女は慌てて手で涙を拭った。
「ごめんなさい……。ちょっと酔っちゃったみたい」
彼女はそう言うと、また俯いて黙り込んでしまった。明らかに様子がおかしい。
「佳代子さん?」
心配になり声をかけるが返事はない。代わりに嗚咽のような声が聞こえ、やがて彼女は手で顔を覆い静かに泣き始めた。
「どうしたんですか? なんで泣いてるのか教えてください」
佳代子さんは俯いたまま首を横に振るばかりだ。俺は彼女の肩を優しく撫でながらもう一度尋ねた。
「佳代子さん、お願いですから」
すると彼女はようやく口を開いた。その声は弱々しく掠れていた。
「……私……もう疲れちゃった……」
「えっ?」
俺は驚いて聞き返す。彼女は俯いたまま続けた。
「毎日毎日、いい年して露骨に女をアピールしてさ……馬鹿みたいじゃない? もう嫌になっちゃったよ」
そう呟いて自嘲気味に笑う彼女を見て、胸が締め付けられる思いがした。衝動的に抱きしめたくなるがぐっと堪える。「そんなことないですよ」とだけ言うのが精一杯だった。
佳代子さんは俺の言葉を聞いてゆっくりと顔を上げる。その表情は憔悴しきっていて、目の周りは真っ赤だ。
「……ねえ伊崎君……私の事嫌い?」
彼女は震える声でそう尋ねる。その瞳には不安気な色が浮かんでいた。だから俺は彼女の目を真っ直ぐ見つめて答える
「俺は、佳代子さんのこと好きですよ」
そう言うと彼女はまた泣き出してしまった。今度は声を上げて嗚咽まで漏らす。そんな彼女をただ見守ることしかできなかった。
◆◆◆
しばらくして落ち着きを取り戻すと、彼女はぽつりぽつりと語り始めた。それは彼女自身の生い立ちについての話だった。
子供の頃から父親に厳しく躾けられてきたこと。その結果、自分が女らしさを失ったと思っていること。その反動から家を出てからは女である自分を磨き続けたこと。彼女の話は所々途切れがちで、その表情には深い苦悩の色が見て取れたが、それでも懸命に言葉を紡ごうとしていた。
「私ね……ずっと自分の事をブスだと思ってた」
佳代子さんは自嘲気味に笑う。
「結婚はしたけど旦那も元々淡白な人だから。それに子どもが出来てからはなおさら、女としては見てくれなくなったわ」
彼女の語り口は、とっくの昔に滅んだ文明の説明でもするように淡々としていた。
「だからね、伊崎君に会えて嬉しかったの。私のことをきちんと見て、呆れるでもなく接してくれる。今じゃ毎日、伊崎君と話すために仕事に行ってるくらい。……でもね、同時に思ったの」
彼女はそこまで一気に話し切ると。言葉を止めて俯いた。俺はただ黙って彼女の次の言葉を待つ。
「こんなおばさんに好かれても迷惑なだけだろうなって」
彼女はそう言うと再び黙り込んでしまった。その目には涙が滲んでいるように見える。俺はそんな姿がとてもいじらしくて愛おしいと思った。だから自然と言葉が出ていた。
「……そんなことないですよ」
俺の言葉に彼女は顔を上げる。その表情は驚きと困惑が入り混じっているように見えた。
「俺は佳代子さんのこと、素敵な女性だと思います」
その言葉を聞いた瞬間、彼女の目には再び涙が浮かんだ。だがそれは先程のものとは違い、嬉しさと期待からの涙であることは明らかだった。
「もちろん容姿もですけど、優しいところとか面倒見が良いところとか……」
俺がそう答えると佳代子さんは少し困ったように遮る。
「伊崎君、お願い。嘘でもいいから、そういうのじゃなくて……もっと他の部分で私を見て」
俺は初めて見る彼女の表情に思わず息を呑んだ。いつもとは違う雰囲気に戸惑う。しかし同時に興奮している自分もいた。
「どういう意味ですか?」俺は努めて平静を装って尋ねる。すると彼女は静かに目を閉じて、何かを待つように顎を少し上げた。
「佳代子さん……」俺は彼女の名を呼びながら、その肩に手を置いた。そしてゆっくりと顔を近づけていく。
「……んっ」
唇と唇が触れ合い、やがて舌を絡ませ合う。それは今まで経験したことのないほど甘く官能的な口づけだった。
「ねえ……もっとして」彼女は熱に浮かされたような表情で言う。その瞳は潤んでいて艶めかしく輝いているように見えた。
「はい……」俺は再び唇を重ねる。先程よりもより深く親密なキスだ。互いの唾液を交換し合い、舌と舌を絡ませ合う。息が苦しくなるほど激しく求め合った後、ようやく離れる。
「ねえ……私のこと好き?」彼女は小さな声で、今日何度目かわからない同じ質問をする。その瞳には不安の色が浮かんでいた。だから俺は何度でも同じ答えで彼女を安心させる。
「はい」
すると彼女は安心したように微笑んだ。
「私もよ」彼女はそう言うと俺の首に手を回して抱き着いてきた。そして耳元で囁くように言った。「愛してるわ」
◆◆◆
それから俺たちは何度も互いに求め合った。互いの体液を交換し、深く体と体を絡め合う。
「んっ……はぁ」
彼女の口から漏れ出る吐息を聞きながら俺はさらに強く抱きしめ、彼女はそれに応えるように強く抱き返す。互いの一番奥で触れ合いながら何度も名前を呼び合い、そして同時に果てた。
「はぁ……はぁ……」
彼女は肩で息をしながらベッドの上に横になる。俺も同じく疲れていた。だがそれ以上に満たされた気持ちの方が強い。彼女と一つになれたという充足感があったからだ。
「……ねえ、伊崎君」彼女が俺の名を呼ぶ。その表情はまだどこか不安げだ。
「はい」俺は答えると彼女の顔を見つめた。
「私たちさ……付き合わない?」
彼女はそう切り出すと、真剣な眼差しでこちらを見つめてくる。俺は少し驚いたものの予想はしていたので、すぐに返事をした。
「はい、こちらこそお願いします」
ここに至るまでに彼女の中でいくつもの葛藤があったことは想像に難くない。既婚者であること、年齢が離れていること、会社での関係、そういったものを乗り越えて彼女が求めた二人の関係を、俺は受け入れたいと思った。
結局それだけ俺も、佳代子さんという女性のことが好きなのだ。
「嬉しい……」
そう言って抱き着いてくる彼女の髪を撫でながら、俺は今日のことをたぶん一生忘れないだろうなと思った。そんな思いのまま唇を重ね、優しく触れ合うだけのキスを、仲睦まじい小鳥のように何度も何度も飽きることなく繰り返す。
「ねえ……もう一回抱いてくれない? 私、今日は伊崎君にフラれても、思いっきり泣いてすっきりできるように最初から外泊するつもりだったの」
冗談めかして笑う彼女の提案に、俺は「もちろん、もう一回と言わず何度でも」と頷く。
そうして俺たちは夜が明けるまで、何度も体を重ね合うのだった。
◆◆◆
仕事中は、あくまで職場の先輩と後輩として接する。だから佳代子さんも俺を名前ではなく「伊崎君」と呼ぶし、俺も彼女を「佳代子」と呼び捨てではなく、きちんと「佳代子さん」と呼ぶ。そんなやり取りさえも二人だけの秘密めいてお互いに心地よいから不思議だ。
「ねえ伊崎君。今度の会議の資料って大丈夫?」
「大丈夫ですよ。一応、先方にメールで送ってあります」
「ありがとう。助かるわ」
彼女はそう言ってわざとらしくウィンクをすると、職場の皆が呆れて苦笑している隙に、そっと俺の机にメモを置く。連絡に会社のメールやスマホのメッセージアプリは使わない。冗談のような「色っぽいイイ女」を演じながら、ああ見えて彼女は慎重で思慮深いのだ。見られてバレるようなリスクは犯さない。
もっとも「それにこういうの、一昔前の社内不倫って感じで憧れてたの」と笑顔で言っていたから、彼女自身の趣味によるところも大きいのかもしれないが。
彼女はいつも俺の仕事が終わる頃を見計らって退勤するので、俺もそれを意識して退社する。必然的に二人の帰る時間が「偶然にも」重なるわけで、ときには「帰り道でたまたま会って」一緒にスーパーに寄って買い物をすることもある。
「イイ女」である彼女が、会社の後輩である年下男性の偏食と食生活を嘆き、手料理を振る舞うなんて当然の行為だ。なお「近所のスーパーで鉢合わせる」というシチュエーションを彼女は殊の外気に入っているようで、帰り道の会話の端々でそれを匂わせる発言をよくする。
「あ、今日の晩御飯はね……」「伊崎君の好きな料理も作ってあげようと思って材料買いに来たら……偶然ね」などと言って目配せするので、俺もそんなやり取りが楽しくて仕方ない。
俺の家で手料理を披露してくれた彼女が自宅に帰るまでの時間は、二人だけで過ごす秘密の恋人同士の時間だ。
「ねえ、伊崎君……私のこと好き?」彼女は俺の目を見つめながら尋ねる。その瞳に期待の色が浮かべ飽くことなく愛の言葉をねだる。
「はい」と俺が即答すると彼女は嬉しそうに微笑んで、目を閉じて唇を少し尖らせる。可愛らしくキスをせがむ仕草だ。
自分のデスクに戻っていく佳代子さんの後ろ姿を見ながら思う。
ああやって一人で仕事をしている彼女はとても凛々しく見えるし綺麗だ。でもプライベートではあんなに可愛らしく殊勝な姿を見せるギャップがたまらない。俺は彼女の魅力に夢中で、当分は離れられないだろう。
そんなことを考えながら彼女を見つめていると目が合った。彼女は「うっふん」とでも擬音が付きそうな笑みを浮かべて言う。
「もう、何見てるのよ?」
俺は苦笑いしながら視線を逸らすと、仕事に集中するふりをした。
(終)